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弱音

2月9日の日記。

◆どこに行っても付きまとう人間関係の、うまくいかない部分は嫌だ。これが人生かってね。では、例えばニートになって、10万円をオンラインゲームにつぎ込んだとして人生を楽しめるだろうか?答えはNO、対戦で負けてトラウマを増やし、ゲームを楽しめない状態になるに決まっている。一人趣味は楽しいけれど虚しさを感じる時がある。お金がもらえるだけ仕事の方がマシだと思う時もある。何のために苦労して生きているのか分からないじゃないか。嫌なことの連続で、それでも飢え死にしたくないから少しは必死に生きているわけだ。強制だ。
さらには地球上にここまでの人間の数は必要ないという、生気が削がれるオマケつきだ。むしろ死んだ方が、後の人間全体の為や地球環境の為になる……とも考えてしまう。ソースはレッドデーターブックや人口爆発や地球資源のデータである。食物連鎖の頂点にいる人間という生物の数が多すぎである。他の生物の生きる場所が無い。
心の休まる居場所が無い。居場所は自分で作らなければならない。人間は自分の気持ちを人に知ってもらいたくて、感情や状況を共有したくて仲良くなろうとするだろう。一人はどこまで行っても一人。運命共同体にはならない。夫婦の状態は知らないけど、離婚とか多いから、うんざりしている場合もあるだろう。ああ無気力だ。飢え死ぬ場面になったら、その時になって初めて普通に生きたいと願って、もがくのだろうか。

◆現実逃避を促進する妄想コンテンツは大事なものを奪っていきました。それは、願いの叶え方です。努力すればできる事を知らないから、困難を乗り越えられない。妄想コンテンツの世界のように幸せが用意されていないのは、世界の方が間違っていると思ってしまう。成功の見えない努力に耐えられなくて、才能が無いんだとして傷ついて、逃げ出してしまう。そして現実逃避の日々。疑似的であっても、一度幸せを味わうと元には戻れない。悪循環だ。まあそれにしか興味が無いほど欲するのだから、理由は人それぞれだろうが中毒であることは確かだ。

◆時々思うのだ。もう手遅れなのではないかと。他人が成長と共に学んできた事を、私は学んでいない。根本的な人を信用する能力か何かの本能が欠けている。すでに成長の機会は過ぎた。働かなくてよくて成長だけに使える学生という期間は終わったのだ。寝て過ごしても、毎日努力しても、同じように月日は流れる。今さらどうやって過去の穴を埋めればいいのだろうか。学生で恋人を作ってイチャついているカップルがいる。もちろん努力したからそうなったのだ。私の気持ちはただの妬みだ。行動の方向性が生産的ではない。どうすれば人生の問題を解決できるだろうか。ただ闇雲に試行錯誤して彷徨う事しかできない。そしてしだいに努力を止めてしまう。その根拠は例えばこうだ。同年代で比べた場合、女よりも男の方が人口が多いから、たとえ全員結婚しても結婚できない人が出てくる。求人倍率が1を下回っているから、たとえ全員就職しても就職できない人が出てくる。もし自分を最下層の人間だと評価しているならば、人並みの人生のイベントなど出来無いと予想されてしまう。その気持ちがやる気や行動力を削ぐ。やる気を出して生きればまだ未来があるのに、なぜか自ら未来を潰す方向に動く。これは絶望してあるライン以下まで落ちた場合、自ら死に向かうように行動する生物の自滅機能が働いていると思っている。例えば犯罪は本人にとっては正しい事だと信じている場合があるらしい。本人は善意のつもりでも判断力が狂っているだけで、周りから見たら悪だ。無口は、一つのパターンとしては、話しかけると相手に迷惑だと考えた末の行動だ。自滅は、集団の利益を損なわないように考えた末の、精いっぱいの善意の行動のつもりなのかもしれない。

「手遅れではない。今からでも努力をすれば間に合う。諦めない限りは、どんなスローペースだろうと進歩できる。」「弱音を他人に漏らして無償の助けを求めようとするな。」どこからか、こんな声が聞こえてきそうだ。


◆弱音を言っても、時間つぶしにしかならない。前に進むには、やるしかない。全国民中流階級の時代は、もう終わった。これからは、優秀な人は一人勝ちし、普通な人は生きていけて、無能な人は飢え死ぬ時代になるだろう。この世は生存競争なのだ。何もしなければ生存できない。人よりも強く、人よりも賢く、弱者を尻目に上を目指し続け、生存を勝ち取るのだ。無気力だろうと、鬱だろうと、絶望しながらでも、行動の手は止めずに前に進み続けるのだ。毛が抜けたり、不眠症になったり、吐いたり、下痢になったり、、目まいがしたり、胃に穴が空いたり、拒食症になったり、アルコール中毒になったり、リストカットをしたり、自殺未遂をしたり、大きなストレスに直面したら人にはいろいろな症状が発生するだろう。ただ必死になれば解決できるわけではないのが難しい。問題を解決する賢さが必要だ。努力してあらゆる手を尽くしてもできなかったら、その時は諦めて静かに飢え死んでいけばよい。というか自然とそうなる。生物のシステムは、死への恐怖を植え付けることによって、最後の諦めを封じている。生物は、死ぬのが嫌だから、自身の経験を参照して、生きられる可能性が高い方向へ行動し続けようとするのだろう、と私は考えている。そんな方向性を生まれた時から用意してくれているのならば、それにのっとって生きていこうではないか。

同情されようが勇気づけられようが現状は変わらない。他人は他人であり、「ああ大変だね」と感想を述べられて終わりなのだ。他人も生きる事で精いっぱいだから、助け舟なんて出している余裕はない。結局は、自分の人生は、自分で解決していくしかない。たとえ、その時は親切な他人に解決してもらったとしても、また同じ問題が発生すれば乗り越えられない。遅かれ早かれ、自分で解決できるようにならなければならない。

1日1日を乗り越えられれば、それでいいじゃないか。明日の事は明日の自分に任せよう。好きな事をしよう。楽しさを味わった分だけ、辛さにも耐えられるのだ。生きる理由とは、いくら考えても納得のできる答えが出てこない。まるで天が落ちてくる事を心配しているかのよう。時には考えないことも必要だ。一つの真実が必要だ。一つの揺るぎない真実を軸にして、理論を構築する。誰かの言葉を借りよう。目から入ってくる情報や自身の思考や数学や歴史など、この世の全てを疑ってみたが、私が今ココに居てこうやって考えている事は真実だ。この真実を元に生物の行動原理や存在理由の解明などの理論を組み立てて、自信や自尊心の構築を目指そう。きっと理由が分かれば自信と行動力が湧く。

書くのは簡単、やるのは大変。だから大変だ。
ダメなのは、無理な目標を立てて、目標の困難さに絶望して潰れてしまう事だ。じゃあ無理な場合は、気にしないようにするか、そもそも無理な目標を立てないようにするかだ。

こういった、不安を感じる夜もある。寝て忘れよう。


◆メモ
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人生の訓練: 第9回「自己憐憫に対する訓練」
http://jinsei-kunren.blogspot.com/2007/11/blog-post.html
自己憐憫の最大の罠は「被害者意識」「ひがみ」です。~。自分が一番悲しい、この痛みは誰にも分かるはずがないと決め付け、周囲に対して心を閉ざしてしまうのです。~。もしあなたが、そのアンテナを少しでも外に向けるなら、周りの人々も、色々な気持ちを抱えて生きていることに気が付くでしょう。主の御心は、あなたが自分の悲哀に暮れることではなく、周囲の人々と「ともに泣き、ともに喜ぶこと」です。
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